「脱力」とは単に弛緩しているだけではありません

【遊体法/テラノ式手ぬぐい体操】にとって最重要項目のひとつが「力を抜くこと」、つまり「脱力すること」です。
前回は「力を入れるからまずは抜かなければならない」というお話をしました。
前回お見逃しの方はコチラ。
今回はその続きというか、別角度から「脱力すること」の意味に迫りたいと思います。
「力を抜く」ということは「リラックスする」こということでもあります。
全身が “心地よく” 脱力できている=最高にリラックスしている状態となるわけですが、ここで ”脱力感覚” が身についていない人は、最高にリラックスしている状態を「ダラダラしている」つまり「弛緩」しているという風に捉えてしまうことが多くあります。
言葉の意味だけを解釈すればそれも間違いではないし、それもひとつの「脱力」の形ではあると思います。
ですが、【遊体法】においてそれはゴールではありません。
では、「最高の脱力」の状態は何か?
それは言葉で表すなら「漲っている(みなぎっている)」という言葉が近いと思います。
なぜなら、「脱力」した状態というのは「筋力の出力がゼロ(またはゼロに近い)」状態、つまり、「100の力を出すための準備が整っている」ということだからです。

ゼロになるから100の力が出せるようになるのです。
無理なくムダなく自分自身の持っているポテンシャルを100%出し切るために脱力するのです。
通常の状態の時にムダな力が残ってしまっていると、力が必要な時に100の力を出せなくなってしまいます。
かといって、力を抜いて弛緩しきってしまうと(ダラダラしてしまうと)、力が必要な時にすぐに入れることができなくなってしまいます。
それに、家で1日ゴロゴロダラダラしたときを想像すればおわかりになると思いますが、それでかえって疲れてしまうという人も多いと思います。
それはつまり今アナタが思っている「ラクなこと」と身体にとって本当に「心地よい」ことが違うということでもあるわけです。ここの落とし穴についてもいずれお伝えします。
なぜかというと、ダラダラしているときというのは力を抜いているようでも、姿勢の悪さや長時間同じ姿勢が持続することによって他の部分に負担をかけてしまうからです。
つまり、「脱力している」という状態は筋肉的には「漲っている(準備が整っている)」ということであり、身体的には「バランスが整っている」ということでもあるわけです。
なぜなら「バランスが整っている」状態になれば、その姿勢を保持するために力を使わなくてもよくなるし、力が抜けていれば使いたい時に使えるということになります。
これも立っている状態を想像するとわかりやすいと思います。
私たちはざっくり言うと「骨」と「筋肉」、「筋膜(いずれ詳しく)」によって姿勢を保持したり、動いたりしています。
「骨」が身体の基本構造となって中心を支えていますが、骨だけでは立てませんし、動くことはできません。骨に付着する筋肉が動く(収縮)することによって、中心にある骨が「動かされて」動きが生まれるのです。
また、骨それ自体では立てませんから、筋肉と筋膜が支えることによって立ったり座ったりという姿勢がキープできているのです。
つまり、本当に力を抜ききってしまうと、私たちは立つことも座ることもできなくなります。
それでは元も子もなくなってしまいます。
そうではなくて、いつでも無理なくムダなく動けるように余計な力を抜いて出力をゼロ(または限りなくゼロ)にするというのが「究極の脱力」の状態といえると思います。
そして、「究極の脱力」の状態はスッキリと「心地いい」し、また、いつでも動ける「漲った」状態というわけです。
言葉の捉え方ひとつで同じ言葉でも全く意味が違ってしまいます。
【遊体法】的には「脱力すること」は「弛緩すること」ではありません。もちろん、筋肉的にはゆるんでいますが、「心地よくかつ漲っている」状態ということです。
ぜひ楽しみながら深く身体を感じて脱力していきましょう。
引用元は遊体法HP http://yutaiho.com/2574
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